門島の雰囲気
- 泰阜村 手工芸
- 2018年6月25日
- 読了時間: 3分
先週末、門島へ出かけました。
何ヶ月かご無沙汰していたので、皆さんの顔を見て、本当に嬉しく思いました。

いつも持ち寄りがあって、今回は時期が時期なので、梅干と青いトマトのお漬物が。
サクランボウもです。四季が普通に日常に現れることは、いかに瑞々しいことでしょう。
こんなこと言っていますが、私は持ち寄りを持参したことはありません。
事実なのに言い訳じみていますが、私は漬物や美味しい料理を作ることに不向きなのです。
皆さんは優しいから、きっと美味しいと食べてくれそうですが、困らせたくありません。
話を戻します。
上の写真は、手前の人が差し色をするところ。奥の人は茶筒を作っているところです。

茶筒は、差し上げると喜ばれる、そうした作品です。
手の込んだカービングを施した革を巻く、金物の茶筒は、見栄えも存在感もあります。
この方は、これまで何個も茶筒を作っていらっしゃいます。
ただ革を巻き付けるだけで当たり前に出来る、と思ったら、それは違いますよ。
革は1mm厚さの牛革を使いますが、1mmといっても厚みはあるので、
曲面に沿わせた革を、底や蓋の円形部分にたたみ寄せる際、そのままでは波打ってしまいます。
なので、たたみ寄せる縁の部分を最初に漉いて、ここに一周切り込みを入れて寄せるのです。
一手間一手間の注意と工程が、人の目に映るとき、
当たり前のように、不自然さのない「自然さ」を醸し出すのです。
私は、バッグの胴体のカービングを行っている最中です。

まーこれが。ちっとも進みません。
細かい模様の上、曲線が短い距離で連続します。
宿題でしたから、最初の部分を自宅で行なったのですが、これじゃムリだと思い、
門島に行ってから先生に、この細かさを刻印で打てない場合を尋ねました。
先生は、『打つの。難しいけれど、でも打つの。』
・・・・・先生が打て、というなら、打つだけです。
反抗する気になど到底なりません。1時間で二つ三つの花を、打てるには打てますが、
その不器用な状態は、なんとも言えないものがあります。
先生は、自分が昔作ったキーケースに、同じ柄を使ったことを思い出して、
私にキーケースを貸して下さいました。
宿題で、このキーケースを見ながら、刻印を進めることになりました。
久しぶりに話した2時間は、瞬く間に過ぎてしまいました。
声を聞き、顔を見て、目の前でその人たちの気配を感じながら、言葉を交わして笑い声の中に自分の声も混ざっている、そういう時間は実に宝のようです。
もくもくと手を動かすときもあるのですが、そういう静まり返った時間というのは、
滅多にないかもしれません。
誰かが沈黙に気がつくと、話しかけたり、お菓子や漬物を促したり、手元を誉めたりして、
沈黙の腰を折るようにおしゃべりが始まります。
優しい人たちです。心の温かい、気配りの細かい思いやりに溢れているのです。
私の都合上、今年はなかなか出かけられないのですが、
帰り道の爽快な気持ちを思い出すと、やはり何とか都合をつけて、
どうにか会いに行きたいと思いました。
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