門島の雰囲気
先週末、門島へ出かけました。
何ヶ月かご無沙汰していたので、皆さんの顔を見て、本当に嬉しく思いました。
いつも持ち寄りがあって、今回は時期が時期なので、梅干と青いトマトのお漬物が。
サクランボウもです。四季が普通に日常に現れることは、いかに瑞々しいことでしょう。
こんなこと言っていますが、私は持ち寄りを持参したことはありません。
事実なのに言い訳じみていますが、私は漬物や美味しい料理を作ることに不向きなのです。
皆さんは優しいから、きっと美味しいと食べてくれそうですが、困らせたくありません。
話を戻します。
上の写真は、手前の人が差し色をするところ。奥の人は茶筒を作っているところです。
茶筒は、差し上げると喜ばれる、そうした作品です。
手の込んだカービングを施した革を巻く、金物の茶筒は、見栄えも存在感もあります。
この方は、これまで何個も茶筒を作っていらっしゃいます。
ただ革を巻き付けるだけで当たり前に出来る、と思ったら、それは違いますよ。
革は1mm厚さの牛革を使いますが、1mmといっても厚みはあるので、
曲面に沿わせた革を、底や蓋の円形部分にたたみ寄せる際、そのままでは波打ってしまいます。
なので、たたみ寄せる縁の部分を最初に漉いて、ここに一周切り込みを入れて寄せるのです。
一手間一手間の注意と工程が、人の目に映るとき、
当たり前のように、不自然さのない「自然さ」を醸し出すのです。
私は、バッグの胴体のカービングを行っている最中です。
まーこれが。ちっとも進みません。
細かい模様の上、曲線が短い距離で連続します。
宿題でしたから、最初の部分を自宅で行なったのですが、これじゃムリだと思い、
門島に行ってから先生に、この細かさを刻印で打てない場合を尋ねました。
先生は、『打つの。難しいけれど、でも打つの。』
・・・・・先生が打て、というなら、打つだけです。
反抗する気になど到底なりません。1時間で二つ三つの花を、打てるには打てますが、
その不器用な状態は、なんとも言えないものがあります。
先生は、自分が昔作ったキーケースに、同じ柄を使ったことを思い出して、
私にキーケースを貸して下さいました。
宿題で、このキーケースを見ながら、刻印を進めることになりました。
久しぶりに話した2時間は、瞬く間に過ぎてしまいました。
声を聞き、顔を見て、目の前でその人たちの気配を感じながら、言葉を交わして笑い声の中に自分の声も混ざっている、そういう時間は実に宝のようです。
もくもくと手を動かすときもあるのですが、そういう静まり返った時間というのは、
滅多にないかもしれません。
誰かが沈黙に気がつくと、話しかけたり、お菓子や漬物を促したり、手元を誉めたりして、
沈黙の腰を折るようにおしゃべりが始まります。
優しい人たちです。心の温かい、気配りの細かい思いやりに溢れているのです。
私の都合上、今年はなかなか出かけられないのですが、
帰り道の爽快な気持ちを思い出すと、やはり何とか都合をつけて、
どうにか会いに行きたいと思いました。