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​泰阜村ハンドクラフト記

泰阜村の手工芸
Yasuoka village Handicrafts

作り続ける人たち Flowers are in bloom for a long period of time


作り続けることについて、時々立ち止まって考えます。

自分のことだけではなく、他の人のこともです。

私自身は、ものづくりを十数年続けていますが、大体どんな時でも作り続けていたと思います。

こう書くと、ずっと上手く過ごしているように聞こえがちですが、そうでもないです。

どんな仕事でもアップダウンはありますから、もれなく私もそうでした。

どんな状態でも状況でも、作る。それはどうしてなのでしょう。

たまに人から質問されます。どうして○○を作ろうと思ったのか、と。

「作りたいからです」と返事は頭に浮かびますが、きっと求められている答えはもう少し捻りがある方が良いのでしょう。

何のために作るの?と聞かれる時、さしたる理由がないと思います。

喜怒哀楽のどれの中でも、生活水準の高低差の中でも、全くのアウェイ環境の中でも、

作りたいと思う気持ちが知らない間に、目を動かし、手を伸ばさせ、脳に何を作れるか尋ねています。

ここまでは自分の話です。

この村で知り合ったものづくりを続ける人たちと関わっていて、彼らの中にある「作りたいから」の気持ちに何度も出会いました。

人も世代も環境も異なるけれど、「作りたい」気持ちは同じように感じました。

私は、同じような想いを持っている人たちと知り合えて、とても有難く思います。

ものづくりをしている人によっては、お金と自分の評価が欲しくて作る人も、よくいます。

そうした目的のものづくりをしている人たちと出会った時、そういう人々には作り続けることがそれほど意味を持たないように感じました。

そうした人たちは、ものが思い通りの反応を出さない時や、お金にならない場合は、作らないことを当然のように選べるからです。

私は、それにこの村で出会ったものづくりをする人たちもきっと、お金や評価にならないのを理由に作らないことを選べません。

そんな理由でものづくりを終えるなんて、多分、考えもしないし、そんなの嫌だからです。

他人の視野と評価に合わせて作る、お金が発生する仕事にしても、技術の向上と創作の奥行きに心を向けた人たちの、ものづくりもあります。

そんな人たちを、社会は職人と呼び、その存在は古今東西で、社会形成の重要なカテゴリーの一つになりました。

この職人のものづくりは、続けることが必須条件のようにも思えます。生活やお金のためのみならず、自身と技術と世界観の豊かさを日々求めるには、続ける以外にないからです。

そして、職業として、他人の視野と評価を意識することも大切な要素なので、自身の向上との摩擦も生じますから、大変、一途なものづくりの継続を一生に背負うように思えます。

私は、職人の仕事をとても尊敬しています。どんな言葉を並べても、一生を捧げて一途に追うものづくりへの尊敬を示すことには、足りない気がします。

職人の生き方を、大変ストイックな生き方に思う人もいるでしょう。

でも、職人ほどの強い志を携えたものづくりではなくても、何かを作り続けることに嬉しさや夢中さを得られる人たちの心は、職人の気持ちに寄った心のように思えます。

嵯峨里も、門島さざなみグループも、作り続けることを大切に出来る人たちです。

作りたいから作っている、良いものを作りたい、と素直な想いの浮かび上がるところが、ものづくりの形に表れているからです。

お金や評価ではなく、心からものづくりを愉しみ、豊かな創作を続けたい気持ちがあること。

そうした清い正直な、ものづくりの場に出会えて、私はとても嬉しく思います。

これからも、こんな素敵な人たちの作品を紹介し続けたいです。

Sometimes I stop thinking about keeping making. It is not just about myself, but about other people.

I have kept the craft for over ten years, but I think that I kept making it at almost any time. When I write like this, you may sound like I've been doing better, but it is not so. Since there is up / down in any job, I also did so.

I make it in any condition or situation. Why is that?

Sometimes people ask me questions. They ask "Why did you think you were going to make it?"

An answer saying "I want to make it" appears at the head, but the answer that is surely required is different.

When asked, "What are you going to make for?", I think there is no reason to give up. Among all of emotions and pleasures, even among the difference in elevation of living standards, even in a completely away environment, While I do not know the feelings I would like to make, I move my eyes, extend my hands and ask what I can make for my brain.

This is my story.

I was involved with people who kept making products that I met in this village and I have met many of the feelings of being "I want to make it" inside them. People, generations and the environment are different, but I felt the feeling "I want to make" the same way. I am very grateful to get acquainted with people who have similar feelings.

Some people may make money and want their own evaluation. When I met people who are making things of such purpose, I felt that they had not much meaning to keep making. Those people can choose not to make things when things do not respond as desired or when they do not become money. For me and the crafter I met, money and evaluation are not necessary, so we can not choose to end about making for that reason.We have not thought about it, so we do not want to end craft making based on that reason.

Saga - ri and the Sazanami group are those who can cherish craft making. It is because the place where honest feelings emerge, "I want to make it" is shown in the form of making craft. It is not money or evaluation. Pleasure making craft from the bottom of mind, they have a desire to continue rich creation.

I am very pleased to meet such a clean mind and honest place.

From now on I will continue to introduce works by such nice people.

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